2015.09.17 Thursday
なぜサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂には説教壇がないのか? フィレンツェをまじめに観光してみた [イタリア2015]
フィレンツェのドゥオーモであるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂には、どこの教会にもある説教壇がありません。
またこの教会には礼拝堂もなければ、壁面の装飾もシンプルで、最低限の装飾しかありません。あまりにも華麗なドームのファサードや壁面の華美さと比べれば、実に不思議なことです。
これはなぜかというのは、長年の謎でした。
仮説なのですが、この教会は、当時のこの教区の人口3万人全員を、教会内に収容することを目的としてつくられました。そのためにこれだけ長大な身廊を作ったわけです。それでも、ここに3万人収容するには、ぎゅうぎゅう詰めだったことでしょう。つまり人数収容のために、説教壇とか余計なものはすべてそぎ落としているのではないでしょうか。よく見れば、身廊を支える柱も余計な張り出しのないシンプルなものになっています。
もし説教壇があったとしても、これだけ身廊が長いと後ろの人には聞こえません。坊さんが途中にいて、伝言ゲームで説教を伝えていたようです。
だからいまは伽藍堂に見える大聖堂ですが、ここを着飾った市民が埋め尽くしたところが完成形だと考えるべきなのでしょう。ルネサンスは、そのような人間の参加を求めるものだからです。
当時のフィレンツェの人口は12万人という大都市です。その中心地であり、かつ力を持った商工業者たちが作ったドゥオーモであるがゆえに、このような特異な構造の聖堂になったのではないでしょうか。
1960年代の大洪水で、偶然発見されたブルネレツキの墓が、地下の土産物売り場の奥にあります。
クーポラのてっぺんの丸い玉が落ちた跡。
ダンテが、この石に腰掛けて大聖堂の建設工事を眺めていたとか。ほんとかあ?