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イタリア旅行記 健康・医療・美容・生活

イタリア旅行記 きょうの健康・医療・美容・生活
「酒の出る監獄」 ヴィピテーノ近郊のある谷深いところにある一軒宿 こういう滞在できる宿がニセコにできない理由 [イタリア2015]
ヴィピテーノ近郊のある谷深いところにある一軒宿

コルティナ・ダンペッツォから引っ越してきたのが、またとんでもない山の中にある一軒宿です。夏なので、満室です。
とにかく切りたった谷間を拓けるところまで拓いて牧草地にしています。すごく景色はいいです。
宿のおやじマックスが駅まで迎えに来てくれます。彼だけは何とか英語が通じますが、完全にドイツ語とイタリア語の世界です。宿の名前がドイツ語で、イタリア語の名前すらない。ここ、一応イタリアなんですけど・・
バスの便が悪すぎます。町までのバスが一日に何便かあるのですが、正午から午後6時までないんですよ。谷から歩いて脱出するのは、ほぼ不可能な距離です。
ですので、車がないわたしは、あまり外に行けません。これをわたしは「酒の出る監獄」と呼んでいます。

ヴィピテーノ近郊のある谷深いところにある一軒宿ヴィピテーノ近郊のある谷深いところにある一軒宿

ではこんなところの何が楽しくて来ているかというと、飯がうまいんですよ。
わたしが3年前から毎年来ている、イタリア北部の滞在型の宿のことは、あまり日本では知られていないかもしれませんが、チロル風の建物で、どこもとっても清潔な部屋で、たいてい朝飯と晩飯が付いているんですが、レバニラ定食みたいなのが出てくるわけではなくて、ちゃんとしたフルコースが出されるんです。だからちゃんと正装してディナーに来ている年配者もいます。

ヴィピテーノ近郊のある谷深いところにある一軒宿ヴィピテーノ近郊のある谷深いところにある一軒宿
それで今回来ている宿は、これまでの中でも最高に飯がいいです。サラダとドルチェの間に、最低でも3皿、さらにまた箸休めのシャーベットが入ることがあります。なおかつここはワインのセレクションがよくてありがたい。
この辺は昔はオーストリアだったので、他の文化は全然チロル風なのですが、飯だけはイタ飯になっているのは不思議なことです。
こういう宿はスイスにもオーストリアにもあるようですが、向こうはお高うございます。スイスとかとんでもございません。イタリアは安いんです。それを目当てに大量のドイツ人が南下してきます。言葉も通じますしね。車のナンバーがドイツやオーストリアです。
ソプラボルツァーノなんか、9月もずっと満室ですよ。それくらい質の高いサービスが安価に提供されています。
なぜこれができるかというと、まず家族経営である。繁忙期だけ応援の人に適当に来てもらう。
かつ食べ物が自家製。農家も兼業してたりして、乳製品やハムは自家製だし、小麦からパンやパスタも作ってます。だから料理人さえいれば、食事は安くできるんです。

ヴィピテーノ近郊のある谷深いところにある一軒宿ヴィピテーノ近郊のある谷深いところにある一軒宿

これをマネしない手はないと思うんですよね。
観光客の多いニセコにこういうのがたくさんできれば、夏冬稼働すれば採算取れるだろうし、料理人や従業員が要るので人口が増えるし、長期滞在者が増えるので観光収入も増えるはずです。星野リゾートとか鶴雅とか、加森観光とか、そういう高級リゾートばかりじゃあ、滞在してたら破産してしまいます。滞在できる宿をつくってニーズを掘り起こすべきなんです。

ところが日本ではこれができない。規制があるからです。
勝手にチーズなんか作れません。発酵はなぜか漬物はOKだけど、チーズはダメなんです。屠殺は屠畜場まで持って行かないとできないから、遠くまで運ばないといけないのでコストがかかります。もしこういう宿を日本で実現しようとすると、クリアしなければならないことが多すぎます。特区にする政治力が必要です。

まあそういうわけで、わたしは北イタリアに来ているわけです。

ヴィピテーノ近郊のある谷深いところにある一軒宿ヴィピテーノ近郊のある谷深いところにある一軒宿
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ヴィピテーノ ブレンナー峠まで20キロの小さな町 でも独自企業の本社がある シュテルツィング [イタリア2015]
ヴィピテーノ

ドイツ語ではシュテルツィング。2500メートルくらいの山に囲まれた、小さな町です。人口6300人、標高948メートル。ここからしばらく行った谷間にあるホテルに1週間滞在してるんですけどね。
はっきり言って、イタリア語よりドイツ語のほうがぜんぜん優勢です。
町の真ん中に、双頭の鷲が描かれた時計塔のある古い門があって、その門を挟んで中世の町がメインストリートとして広がっていて、観光客多数。

ヴィピテーノ
ヴィピテーノ
門を挟んで新市街と旧市街になっているのですが、旧市街の古い建物は14世紀の建物がホテルとしてしっかり営業中でした。室町時代やがな。
まあ、なんということはない、こじんまりとした町です。
あと、登山のために訪れている人も多いみたい。

この町の郊外に、Leitner Ropewaysという会社の本社があります。この会社のロープウェイやリフトは世界中に輸出されていますが、日本製よりはるかに優れた、高機能でハイテクなものです。ボルツァーノの町とソプラボルツァーノ村を結んでいるロープウェイがココのものでしたが、乗ってみてホントに驚きました。日本はこの分野では全然遅れていると思いますね。
イタリアにはこういう、独自性のあるよい会社がたくさんあると、ミラノの領事館の人に聞きました。

ヴィピテーノ Leitner Ropeways

フェラーリに乗っているのはだいたいジジイ。まあマウンテンバイクに乗っているのもジジイだったりするが・・・
日本もイタリアも、ジジイは元気だなあ。

ヴィピテーノ

ヴィピテーノ
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つ、遂にザルツブルグ音楽祭デブー シュトラウス「バラの騎士」 貴族的、あるいは「高貴」とは何か すみません、わたしは旅行中なもので、タキシードは持ってません、お許しください。 [イタリア2015]
ザルツブルグ音楽祭 シュトラウス「バラの騎士」

つーか、そもそもタキシードなんか持ってません。浮きまくりです。わたしもしかたなくネクタイとシャツをコルティナ・ダンペッツォで買いました。高くついた・・・
でもいまブレンネロ峠の近くに投宿しているので、この機会に行かないと後悔すると思って、行ってみました。
今はわたしは、このオペラが表現しているのは、「高貴さ」とは何かという普遍的な価値についてであると思っています。

ザルツブルグ音楽祭 シュトラウス「バラの騎士」

まあ話の内容は、よく考えてみればとんでもなくふざけた話なのですが、マルシャリン(元帥夫人)に焦点を当ててみると、若い燕と遊んでいて、でも世の中には彼女にはよく分からないことが゛たくさんあって、例えば歳を取るなんてのはそういうことであって、なんだかよくないけど世の中は神様が作ったものだからそれでいいのであって、ということは若い燕は必ず自分から離れていくということです。それを彼女は自覚しているし、そういうのを「軽く」過ごさないと神様に罰を与えられると思っている。
それで突然そういう別れの日が来たときに、如何に毅然と、揺るぎなく振る舞えるか。塩野さんはよく「やせ我慢」とおっしゃるのですが、早い話そういうことなんだけど、そのようにして自分の立場をわきまえ、相手のために立ち回る態度、それが貴族的な姿勢であって、それが人間同士が作っている世の中を支えている根本に近いもんなんじゃないのかなあということです。

ザルツブルグ音楽祭 シュトラウス「バラの騎士」
マルシャリンのそうした態度を際立たせるために、三文貴族のオックスが設定されてるんじゃないのかとさえ思うのですが、実はこのオペラのタイトルは「オックス」になりかけたというのですから作者はそこまで意識していないのかもしれません。
あと「ビシェッテ」がいいよね。設定ではマルシャリンの年齢は30歳くらいなんだよな。昔の人は寿命が短かったけど、若くして大人だったということでしょう。

シュトラウスはザルツブルグ音楽祭の創始者の一人。今年は生誕150周年だそうです。
ザルツブルグではこのオペラをここのところ10年おきにやっているらしい。わたしもこのオペラを10年おきに、クライバー/ペーター・シュナイダー/ウェルザー=メストでウィーン・フィルで観ています。
最初はワルツがおもしろいとか、恋愛劇がおもしろいという興味でこのオペラを好むようになるのですが、年を取るとマルシャリンに感情移入するようになっちゃいますね。
日本でも必ずこの舞台をテレビ放送するので、ご興味のある方はご覧ください。おもしろいですよ。

ザルツブルグ音楽祭 シュトラウス「バラの騎士」
演出について
最大の話題はクプファーの演出です。かっ飛んだものになるのかなと思っていたら、常識的なセンでした。舞台は18世紀からちょうどこのオペラが初演された20世紀初頭のウィーンに時代を移してあり、背景を当時の街のモノクロ写真にしています。人物の服装もそうで、みんなある程度まともです。イタリア人の詐欺師カップルすらも。
アールデコ風の家具が回り舞台を使って移動します。
照明もよく工夫していて、舞台装置や人物が移動したときの影を使ってモノトーンの落ち着いた感じを出しています。
舞台が落ち着いている分、人物には過剰な演技をつけています。第3幕の前半なんか、どたばた劇になっています。
おもしろかったのは、オクタピアンがオックスの腕を剣で傷つけるのでなく、決闘を挑むオクタピアンから逃げ回っていたオックスが、オクタピアンから投げ渡された剣を受け取ったときに、自分で傷ついた設定にしていたこと。そういうパターンもあるのでしょうが、私は初めて見ました。
また台本ではオックスにおびえる公証人がすごい大男で、ぜんぜんおびえてないのもおもしろかった。
第2幕のファーニナル邸の背景写真は、シュターツオパーのホワイエを使っています。差し障りがなくていいんでしょうが、いかがなものか。
第3幕の背景写真だけカラーです。
ザルツブルグの舞台らしく、正統派の演出を狙ったのでしょうが、たいしておもしろくもなく、んーまあこんなもんかという感じです。

歌手はみんな酷評されていて、マルシャリンのストヤノーヴァだけが評価を受けているようですが、みんな頑張ってたと思います。ゾフィーが黒人で、しかも演技過剰というのはどうかと思いますが。

ザルツブルグ音楽祭 シュトラウス「バラの騎士」
シュトラウス像


ドレスコードについて
このオペラ、長いので6時から始まるんですよ。そうすると4時には飯を食べないといけないわけで、4時なんてめちゃくちゃ暑いわけですよ。
この夏に、タキシードを着てるなんて異常ですよ。もうちょっとなんとかならないもんでしょうか。わたしゃ日本でもネクタイなんか締めたことないんですけど。
中国人がTシャツで入っていたが、あれはあれでどうかと思う。

ザルツブルグまでの道程
ザルツブルクまではすぐ近くだろうと思って舐めていたら、けっこう大変でした。ビピテノの駅まで朝8時のバスで20分。そこからブレンネロまではイタリア国鉄。その先はオーストラリア国鉄なんだけど、切符はドイツ国鉄で、インスブルックからザルツブルクまでは2時間。そこから市内バスにどう乗るのかいろいろ研究して、祝祭劇場についたらチケットの受け取り場所が分からなくて、やっとチケットを受け取ったら1時半でした。
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「トスカ」 2015年8月 アレーナ・ディ・ヴェローナ  [イタリア2015]
「トスカ」 2015年8月 アレーナ・ディ・ヴェローナ

開演後に小雨がパラパラ。第1幕が始まってすぐ、堂守が出てきたところで演奏が中断されます。弦楽器は極端に雨に弱いので、急いで避難。客もアレーナの中に避難します。外では雷鳴がなっています。アナウンス前に観客が席に戻って演奏再開。
さらにトスカが出てきてバカップルがデュエットを歌うところでまた雨がぱらついて演奏中断。
30分後演奏再開。少年聖歌隊が入ってくるところで鳴らされる空砲の音が大きすぎて、観客から悲鳴が上がっています。
この舞台の主役はスカルピア。第1幕で登場するとき、なんとカバラドッシが描いている画を蹴倒して堂々の登場。
どうも巨大な舞台のまんなかに、幕で覆われたまるいものがあって、右手には巨大な人の拳があって、左手には巨大な梁があって、何だか分からない装置だなと思っていたら、スカルピアが登場するとすぐ、幕が払われて、巨大な人の頭部が現れます。「何なんだ」とよく見てみると、舞台左手にあるのは振りかざした剣なんですね。

「トスカ」 2015年8月 アレーナ・ディ・ヴェローナ

つまりこれ、サンタンジェロ像(聖ミカエル)なんですよ。この、登場人物が全員死んでしまうという理不尽な運命のストーリーは、すべてサンタンジェロ像の中で展開するというわけです。スカルピアの登場時に幕が払われるというのは、これから彼らに襲いかかる運命を示しているわけで、わかりやすく効果的です。
で、スカルピアのマエストリが気持ちよく歌い始めてすぐまた雨がパラパラして、弦楽器が逃げ出します。
都合3回の中断を挟んで、人数どっさりのテデウムで第1幕が終わったときには11時。開演から2時間以上経ってます。イギリスだと、子供の深夜労働にうるさいので、とてもこんな舞台はできないだろうな。

「トスカ」 2015年8月 アレーナ・ディ・ヴェローナ

10分の休憩を入れて、第2幕はかなり盛り上げてくれました。うれしいねえ。スカルピアがトスカに「スペインのワインだ」と奨めるところがあるんですが、これは当時ローマを支配していたのはスペイン系のブルボン家だったので、それを暗示させるためかもしれないと聞きました。
で、星が光って、騎士が撃たれて、トスカがサンタンジェロ像の頭部の脇の階段を上って、しばらく姿を消した後、頭部の上に十字架をかざしたトスカの立ち姿が見えて、暗転してオワリです。トスカが死んで、天に召されたことを暗示しているのでしょう。
これはとってもいい演出で気に入りました。よく考えてます。

「トスカ」 2015年8月 アレーナ・ディ・ヴェローナ

終演後ブラ広場前のカフェで飲んでいたら、出演者一行がおのおのの役名を書いた紙を持った人に先導されて、ずらっと並ぶカフェの前を通って行って喝采を浴びていました。いかにもヴェローナ音楽祭らしい光景だ。

「トスカ」 2015年8月 アレーナ・ディ・ヴェローナ「トスカ」 2015年8月 アレーナ・ディ・ヴェローナ
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ヴェルディ「ナブッコ」 2015年8月 アレーナ・ディ・ヴェローナ  [イタリア2015]
ヴェルディ「ナブッコ」 2015年8月ヴェルディ「ナブッコ」 2015年8月

いーですよねー。ヘブライの民がなんだか「柳の木に琴が引っかかった」とかいって嘆いています。バベルの塔が崩壊するんです。
「飛べわが思いよ」のアリアは、みんな固唾を飲みながら聴いていて、イタリア人でも集中力を発揮する瞬間があるんだと感心します。観客がドタドタ足を踏みならしてアンコール。

ヴェルディ「ナブッコ」 2015年8月ヴェルディ「ナブッコ」 2015年8月

ユダヤ戦争でユダヤ人をディアスポラに追い込んだローマ帝国が建てた競技場でやってるんだけど、そういうことはいいらしい。
他国に奪われた国土回復と、神の偉大さをたたえるという、イタリア人が大好きなテーマを盛り込んだヴェルディの出世作で、テーマについては眇で見てしまうのですが、それをとっても魅力的な音楽にしてるのはすばらしいと思います。
なんせ神の奇跡で、敵方が全員ヤーヴェに回心してしまうんだからなあ・・・ついていけんわ。
ナブッコのダリボル・イエニスは、きのう代役で繰り返しのカットされていないドン・ジョヴァンニをやって、続いての登板ということで、すごい体力です。

ヴェルディ「ナブッコ」 2015年8月
日本人が極端に少ない。みんなペーザロのロッシーニフェスティバルや、マチェラータのような超マニア志向の音楽祭に流れていってしまったのでしょうか?
ヤーヴェをたたえて終了した後、みなさんブラ広場のカフェに移動して一杯。わたしはこのために来ているようなものです。古代ローマの競技場を見ながら飲むのは最高の楽しみ。

ヴェルディ「ナブッコ」 2015年8月
| - | 20:27 | - | - | pookmark |
トラットリア コルテ・スコンタ Trattoria Corte Sconta  ヴェネチア
トラットリア コルテ・スコンタ

ヴェネチアに来ていつも困るのが、ちゃんとした地元料理を食わせる店に当たらないことです。サンタルチア駅近くの店はだいたいダメです。ひどいレベルです。
それで以前この店を教えてもらったのですが、クリスマスシーズン後の休業で、行けませんでした。
今回は行ってみました。サンマルコ広場の次のザッカリア船着き場から波止場沿いに少し歩いて、おもむろに街中の細い路地に入っていくつか路地を曲がったところに入口があります。厨房を見ながら店に入ると、中庭があって。そこにテーブルが置いてあります。中庭全体にブドウの木が日よけ替わりに広がっていて、実に心地よい空間になっています。

トラットリア コルテ・スコンタトラットリア コルテ・スコンタ
イタリア語と英語で巧みにお勧め料理を勧めるおばさんがいて、地元料理を注文します。
まず前菜の魚盛り合わせ、シャコ貝みたいなのから食べ始めて、時計回りに食べていくんだそうです。ザワークラウトにブドウが入ったのが美味し。
トラットリア コルテ・スコンタ
次に自家製の、イカスミを練り込んだパスタ。パスタも美味いが、トマトと一緒に食べるとこれがまた激ウマ。
メインは、マグロなんだけど、マグロを焼いて、タマネギの細切りを焼いたものと絡めて出てくるという料理で、はじめてたべた料理でした。マグロの香ばしさが楽しめます。
ヴェローナ産のワインでいただきました。
トラットリア コルテ・スコンタ
ここは魚料理しかありません。はじめてヴェネチアでちゃんとしたものを食べたと思います。どうせ値段はたいして変わらないんだから、美味い店で食べたほうがいいです。
この店の周囲には、いくつか店があるので、おそらくこのあたりの店であればまともな魚介料理を食べさせるのではないかと思われます。
| - | 21:08 | - | - | pookmark |
アカデミア美術館 ヴェネチア
アカデミア美術館 ヴェネチア

夏のヴェネチアはどんな感じかと思って来てみたのですが、人が多くてかないません。ゴンドラ漕ぎも大忙しです。ここは阿呆な観光客が騙されるためにある町です。

アカデミア美術館 ヴェネチア
ヴェネチア派絵画が集まっている美術館ということで、アカデミア美術館に来てみたのですが、実はかなり偏りがありますね。ティントレットが多いです。ベッリーニの聖母子像も山ほど見れます。カラバッジオがないのはまあ分かるとしても、ジョルジョーネなんか「嵐」しかありません。絵画を線描から解放した画期的な画家なんですけど、まあほとんど外に持ってかれてるんですねえ。

アカデミア美術館 ヴェネチア

アカデミア美術館 ヴェネチアこれはヴェロネーゼ
しかしながら、ドゥカーレ宮では画が大きすぎてよくわからないティントレットの画が、いかに劇性を盛り込んだものかについて、じっくり見ることができます。まあよくここまで考えるものだと感心します。

アカデミア美術館 ヴェネチアアカデミア美術館 ヴェネチア
また、宗教画の人物についても、16世紀当時のヴェネチア人の服装に置き換えて描かれていてとてもおもしろい。

アカデミア美術館 ヴェネチア
宗教画の多くはスコーラという、同じ宗派を信仰する人たちの組合から依頼されたもので、その組合の人たちが画の中に描き込まれたりしています。
16世紀のヴェネチアの風俗がわかるものになっています。サンマルコ広場も、大鐘楼は建っていたものの、時計台はまだ無かったことが分かります。

アカデミア美術館 ヴェネチアアカデミア美術館 ヴェネチア
あと、ほぼすべての画がキレイに修復されていて、とても見やすいです。

アカデミア美術館 ヴェネチアマンテーニャ

なおティントレットは、サルーテ教会の聖器具室に、大きな「カナの婚礼」と、その天井に小さく「アベルの殺害」「イサクの生贄」「ゴリアテを倒したダビデ」の画があって、こちらもおもしろいです。

 
| - | 16:50 | - | - | pookmark |
コルティナ・ダンペッツオ総括評価 5つ星です コルティナ・ダンペッツオ [イタリア2015]
コルティナ・ダンペッツオコルティナ・ダンペッツオは標高1224メートル。イタリアの中では、高級リゾートとして知られています。
ヴェネチアからバスで3時間弱。とんでもなく不便なところです。よくもまあ、こんなところでオリンピックをやったなあと思うのですが、しかしその不便さが幸いしてか、あまり都会化していません。田舎のままです。オリンピックの時に建てられたままの建物が多いのではないでしょうか。全体的に古くさいです。その割にはバカ高い宿泊料金を取ります。
でもバカ高いのはホテル代だけで、町なかにたくさんあるリストランテはたいがい釜があってピザも出すような店で、そうお高くありません。

コルティナ・ダンペッツオコルティナ・ダンペッツオ

わたしはサンモリッツみたいなところかと思ってびびっていたのですが、サンモリッツに比べれば全然カジュアルな感じです。
で、この町はドロミテの山々に囲繞されていて、町なかから切りたった山容が見えるし、遠くにある奇岩も見渡せます。
町の真ん中のバス乗り場から、これらの山にさっと行くことができます。ロープウェイでも山に登れます。そうした近場の山の眺めというのが、バラエティに富んでいて実にすばらしい。その点において、ここに勝てるところはあまりないのではないでしょうか。
わたしは一昨年ドロミテの西端のレノン高原に滞在し、去年はコモ湖から上がっていったソンドリオのボルミオにいたのですが、これらのリゾートからもいくつかの景勝地に行くことはできるものの、その多様性と手近さと景観の壮大さを考えると、コルティナ・ダンペッツオに勝るところはありません。

コルティナ・ダンペッツオコルティナ・ダンペッツオ

まさにコルティナ・ダンペッツオは、5つ星のリゾートと言えると思います。したがって、夏冬の宿泊料金が高いのは、当然と言えるでしょう。
このまま道が便利にならずに、コルティナ・ダンペッツオはこのままの姿でいてくれることを望みます。

それから、山歩きは「スニーカーでも大丈夫」と書いてあるサイトもあるようですが、登山靴を持って来たほうが絶対に楽です。
| - | 19:35 | - | - | pookmark |
チンクエ・トッリ 標高2200メートルにある戦争博物館の続き コルティナ・ダンペッツオ [イタリア2015]
チンクエ・トッリ

「5つの塔」という名前の奇岩の周囲が、ハイキングコースとしてとても有名だというので行ってみました。
コルティナ・ダンペッツオからバスで20分ほどです。リフト乗り場の駐車場は満車です。すごい人だ。
スキーリフトに乗ると、安直にチンクエ・トッリの真下まで連れて行ってくれます。標高2255メートル。
高さ100メートルほどの、つぶれかけの5つに分かれた岩があります。そこをよじ登っている奴、周りをマウンテンバイクで走っている奴、兄弟とケンカしている家族連れのガキ、さまざままな種類の犬といった、のどかな景色が広がっています。

チンクエ・トッリ

この高台の谷側に近いほうが、またイタリア軍の塹壕になっていて、大砲が据えてあったり、救護所があったり、見張り台や信号台があります。これを称して「第一次大戦の戦争博物館」と言っているのですが、これはなんのこっちゃない、2014年に制作されたThe Silent Mountainという映画のセットみたいなんですね。

チンクエ・トッリ
チンクエ・トッリチンクエ・トッリ

なるほどここならリフトから近いので、セットの建設も撮影機材を引き上げるのも、楽だったでしょう。
また恐らくここは実際の戦争の時も陣地として使われていたのだと思います。おととい行ったラガッツォイ山は谷を挟んで向かい側で、その隣のトファーナ山にかけて、砦を築いてにらみ合っていたのでしょう。

チンクエ・トッリチンクエ・トッリ

チンクエ・トッリ側のほうが平坦なので、岩の裏側に司令部が置かれたようです。ウンベルト3世も視察に来ている。
最初の戦闘は1915年6月15日にあったと書かれていました。トーチカのあちこちに説明板があって、戦争についての解説がしてあります。それによると「イタリア王国の参戦の目的は、トレントとトリエステの再復だった」となっています。平和がどうとか、侵略戦争がどうとか、そういう余計なことは書いてありません(当たり前のことですが)。
そういう野外展示を、みなさん熱心に見て回っています。
まあ、いちおうイタリアが勝った戦争ですからねえ。

ちなみにRai3は、2015年8月15日は午後9時からディズニーが作った「パールハーバー」をやっていました。
第一次、第二次大戦を通して、日本と同じ側で闘ったのは、全世界でイタリア王国とタイ王国だけです。タイについては8/12の赤匪新聞に書いてあった通り、日本が武力で脅かして米英に宣戦布告させたので、実質的にはイタリアだけなんです。
逆に言うと世界中探しても、前世紀の大戦に参加した国ぐにの中で、まったくそういう意趣遺恨のない関係なのは、日本人にとってはイタリア人だけだということです!

チンクエ・トッリ
この岸壁のてっぺんでも戦闘が・・・
| - | 20:00 | - | - | pookmark |
ラガッツォイ 第一次大戦百周年 「落ちたら死ぬ」の連続、こんな博物館は嫌だ コルティナ・ダンペッツオ [イタリア2015]
ラガッツォイ山
日本では戦後70年ということで、騒がなくていいことで騒いでいるようですが、当地では「グレイト・ウォー」100周年なんですよ。つまりこの地でイタリア王国とオーストリア・ハンガリー帝国のカイザーとの闘いが始まってから100年目だというんですね。
それでドロミテの山岳部でも戦闘がありました。そこを野外博物館にしてるというので行ってみたんですけどね、2015メートルのファルツァーレゴ峠までバスで来て、そこからロープウェイで上がったところが2752メートル。山の上だけガスに覆われていて、視界はまったく利きません。なにも見えん。

ラガッツォイ山
で、「トンネルへ」と書いてある方向に降りるのですが、イタリア軍のトーチカの先に、塹壕があるらしいんですね。そこへ降りる道というのがとんでもなく急で、岩をくりぬいた道が続いていて、岸壁から滑落したらまちがいなく死ねて、かつ時々上からカラカラカラと乾いた音を立てて石が落ちてきて奈落の底に落ちていきます。あれに当たってもまちがいなく死ねるというおそろしい山道です。

ラガッツォイ山

この先にあるのが博物館
ラガッツォイ山


殺す気か! どこのカイジの鉄骨渡りだよ! 頭おかしいだろっ!

ラガッツォイ山

イタリア軍のトーチカまでは来ましたが、その先はどっちに転んでも死ぬので、ここで引き返します。トンネルを見るには、ヘルメットと懐中電灯が要るようで、完全装備のみなさんが尾根道を渡って博物館に突入しています。まあ、ヘルメットは落石から身を守るためにも必要なんでしょうが。
クレージーです・・・

引き返して、ラガッツォイ山頂に行きます。2778メートル。
さらにガスが濃くなります。鳥の声以外何も聞こえません。

ラガッツォイ山
そこからちょっと降りたところが、オーストリア軍の作った道なんですが、これも途中まで進んだところで、落ちたら死ぬのでもう先に進めません。お許しください。

ラガッツォイ山

つまり、ロープウエイの山頂駅を挟んで、2700メートルの山頂近くの同じ面で、イタリア軍とオーストリア軍がトーチカやトンネルを掘ってにらみ合っていたってことですよ。
地上の喧噪のまったく届かない、なんにもない自然の中で、落ちたら死ぬところで銃を突きつけ合っていたということです。すごいです。
そうかと思ったら、山頂の小屋にサウナを作って「ドロミテ一高いサウナだ」と喜んでいます。わけわからん。
カフェを飲んで山を下ります。

ラガッツォイ山

この山のてっぺん近くの岸壁の同じ側で、イタリア軍とオーストリア軍がにらみ合っていた。
ラガッツォイ山
| - | 23:13 | - | - | pookmark |